認知症の家族を抱えるAさん一家は、父親の夜間徘徊に頭を悩ませていました。玄関には二重の鍵を取り付け、夜も安心して眠れるようにはなりましたが、日中のふとした瞬間に外へ出て行ってしまうことがあり、その度に家族は必死で捜索していました。物理的な対策だけでは限界がある。そう感じたAさんは、地域包括支援センターの扉を叩きました。そこでAさんが知ったのは、玄関の鍵という「点」の対策だけでなく、地域社会という「面」で支えるセーフティネットの重要性でした。センターの担当者は、まず「徘徊SOSネットワーク」への登録を勧めました。これは、行方不明になった際に、本人の特徴や服装といった情報を、地域の協力機関(警察、消防、交通機関、協力事業者など)に一斉に配信し、早期発見につなげる仕組みです。Aさんは、父親の写真と共に情報を登録し、万が一の際に地域全体で探してもらえるという、大きな安心感を得ました。次に、担当者は民生委員と連携し、Aさんの自宅周辺の地図を広げました。そして、父親がよく立ち寄る可能性のある近所の商店や、散歩コースにある公園などをリストアップし、Aさんと一緒に挨拶回りをしてくれることになったのです。「もし父が一人で歩いていたら、声をかけて、私に連絡をください」。そう言って頭を下げるAさんに、商店の店主は「お互い様だから、気兼ねなくね」と温かい言葉をかけてくれました。顔の見える関係を築くことで、近所の目が、自然な見守りの目へと変わっていったのです。さらに、市が提供するGPS端末の貸与サービスを利用し、父親の靴に小型のGPSを装着しました。玄関の二重ロックという物理的な対策は、これまで通り家族の命綱です。しかし、それに加えて、地域社会との連携という、目には見えないけれど強固なセーフティネットを築いたことで、Aさん一家の心には、以前にはなかった余裕と平穏が生まれました。玄関の鍵は、あくまで最後の砦。その手前で、いかに多くの優しい目で支えることができるか。それが、徘徊という深刻な課題に対する、社会全体の答えなのかもしれません。
玄関の鍵と地域で見守るセーフティネット