私が高校生だった頃、どうしても自分の部屋に鍵が欲しいと切望していた時期がありました。理由は単純で、三歳下の弟が、私の留守中に勝手に部屋に入り、大切にしていた漫画を読んだり、机の引き出しを開けたりすることに、我慢がならなかったからです。それは、私にとって、自分のテリトリーが土足で踏み荒らされるような、耐え難い屈辱でした。しかし、両親に「部屋に鍵を付けたい」と相談すると、父は「家族なのに水臭い」と、母は「何か隠し事でもあるの」と、全く取り合ってくれませんでした。当時の私には、プライバシーという概念をうまく説明する語彙力がなく、ただただ悔しい思いをするだけでした。そこで私は、お年玉を貯めて、自分で鍵付きのドアノブを買ってきて、交換するという実力行使に出ることを決意しました。日曜の午後、両親が買い物に出かけた隙を見計らって、私はドライバーを片手に、作戦を開始しました。しかし、DIYなどやったことのない素人です。説明書を読んでも、専門用語が分からず、既存のドアノブを外すだけでも一苦労。ネジを無くしかけたり、ドライバーでドアを傷つけてしまったりと、部屋はさながら格闘のリングのようでした。一時間以上も悪戦苦闘した末、ようやく新しいドアノブが収まった時の達成感は、今でも忘れられません。帰宅した両親は、最初こそ驚き、少し怒っているようでしたが、汗だくで傷だらけになった私の手と、それでも誇らしげな私の顔を見て、何かを察したようでした。父は何も言わずに、私が付けたガタガタのドアノブを、もう一度しっかりと締め直してくれました。その日以来、弟が私の部屋に無断で入ってくることはなくなりました。そして、不思議なことに、鍵を付けたことで、私は以前よりも素直に弟と接することができるようになったのです。あの小さな鍵は、私に物理的なプライバシーだけでなく、心の余裕という、もっと大きなものを与えてくれました。それは、私のささやかな独立宣言であり、家族との新しい関係が始まった、記念すべき一日だったのです。