今日は、私の人生で最大級の「やらかし」について書こうと思います。今でこそ笑い話にできますが、その渦中にいた一時間は、まさにこの世の終わりを感じるような屈辱と絶望の時間でした。事の起こりは、日曜日の爽やかな朝。大好きな柔軟剤の香りに包まれ、洗い立てのパジャマのまま、私は溜まった段ボールをゴミ置き場へ持っていこうとしました。部屋のドアを出る瞬間、いつものように鍵を持ったか確認すべきだったのですが、寝起きの頭は「すぐそこだし、ドアも少し開けておけば大丈夫」と、根拠のない自信に満ち溢れていました。ところが、段ボールを置いて戻ってくると、そこにあるはずの隙間がありません。風でドアが閉まり、しっかりとオートロックがかかっていたのです。私はパジャマ、それも上下お揃いの少々可愛らしすぎるデザインに、ボサボサの頭。手には何も持っていません。マンションの共用廊下で、私は自分の部屋のドアを呆然と見つめました。最初に行ったのは、ダメ元でドアノブを回すこと。もちろん開きません。次に考えたのは、他の住人の助けを借りることでしたが、この格好でインターホンを押す勇気が出るまで、実に十五分を要しました。ようやく通りかかった上品な奥様に事情を説明した時の、あの「あらあら……」という哀れみの混じった表情。一生忘れられません。彼女のスマートフォンをお借りして管理会社に電話し、一時間後に業者が来てくれることになりましたが、その待ち時間は地獄そのものでした。共用廊下の非常階段の影に隠れながら、誰にも見つからないようにと祈り続けました。ようやく現れた作業員さんの、プロとしての冷静な対応が、ボロボロになった私のプライドを辛うじて繋ぎ止めてくれました。三万円という解錠費用を支払う際、私は心の中で誓いました。もう二度と、どんなに短い外出でもパジャマで外には出ない、そして何があっても鍵は肌身離さず持つと。オートロックの締め出しは、物理的な不便さだけでなく、人間の尊厳をいとも簡単に削り取っていきます。もし皆さんが今、玄関の前で鍵を持たずに立っているのなら、まずは深く深呼吸してください。そして、次に私のようなパジャマ姿の住人を見かけたら、どうか無言で温かい救いの手を差し伸べてあげてください。あの屈辱は、経験した者にしか分からない深い傷を残すのですから。多くの締め出しは、マルチタスク、例えば電話をしながらの外出や、荷物を抱えての外出など、注意力が分散している時に発生しています。オートロックの締め出しを単なる「不運」として片付けるのではなく、自分の生活動線における脆弱性を特定し、それをテクノロジーや習慣によってパッチを当てる、つまり修正していくという考え方が必要です。鍵を忘れても入室できる環境をあらかじめ構築しておくことは、ハッカーがバックドアを用意するのと似ていますが、正当な住人にとっては究極のセーフティネットとなります。テクノロジーが進化しても、最後の防衛線は自分自身の設計能力にあると言えるでしょう。
パジャマ姿で立ち往生したオートロック締め出しの屈辱ブログ